たまおの本棚 『リバタリアンとは何か』

『リバタリアンとは何か』(江崎道朗、倉山満、渡瀬裕哉、宮脇淳子共著、藤原書店)

増税派の前提には、「政府は社会保障を充実すべきである」という福祉国家、社会主義の思想が潜んでいる。それに対するアンチテーゼとして、「政府は社会保障を充実すべきではない」というリバタリアンの思想があるらしい。それを分かりやすく解説したのが本書だ。早速読んでみよう。

3分で読める要約!

要約だから、「ニューディール政策って何ぞや」「財産権?なにそれ?」とか、そういう詳しい話はとりあえず飛ばします。あとで解説するからね!

ルーズベルト
ハイエク

リバタリアンとは何か?リバタリアンとは、米国のルーズベルト政権のニューディール政策(1930年代)に対するアンチテーゼとして生まれ、ハイエク著『隷属への道』(1944)で理論化された政治思想だ!

一言でいえば、「すべては財産権である」「課税は泥棒」「政府は邪魔をするな」という考え方だ。

それでは、 『隷属への道』には具体的にどんなことが書いてあるのか。まとめるとこうだ。社会は個人の自立、独立独歩、創意工夫によって発展すべきだ。個人が自立心を失って政府に頼る=依存することから、国の在り方はおかしくなる。だから、政府が国民の生活を保障する福祉国家や社会主義はダメだ。これでは政府が国民を「飼う」ようなもので、国民の自立心が失われてしまうのだ――!

 だから、リバタリアンの思想は、個人の所有権(財産権)を重視して、個人の自由を尊重するものになる。それゆえ、政府による介入(経済統制、増税、規制、社会保障、思想統制)を「財産権や自由に対する侵害」として否定するわけだ。

しかし、現実には政府による介入がゼロになることではない。それでは、リバタリアンの思想は無意味なのだろうか。決してそうではない。

実際のリバタリアンたちは政治活動を行い、現実的な役割を果たしている。

それは、①財産権や自由が不当に侵害されないように、シンクタンクを運営して政府の予算や行動を厳しく監視すること。

②政治家や知識人が「自分たちのような賢い人間がリーダーとなって、愚かな国民を引っ張っていかないといけない。国民は自分たちの言うことを聞いていればいいんだ」というオーソタリアン(権威主義者)の考え方に流されないよう、「国民が自分たちのことを自分でやるのが一番いいんだ」というリバタリアンの思想を伝える。それによって、間違ったエリート主義にブレーキをかけること。

 リバタリアンはアメリカで生まれた政治思想だが、日本にもそういう性格はある。たとえば、明治時代の福沢諭吉や夏目漱石、自由民権運動がリバタリアンに近い。

 「一身独立して一国独立すること 第一条 独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず。 独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵によらざる独立なり。みずから心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり。人々この独立の心なくしてただ他人の力によりすがらんとのみせば、全国の人はみな、よりすがる人のみにてこれを引き受くる者はなかるべし。」(福沢諭吉「学問のすすめ」)

超訳するとこうだ!

「『自分は自力で生きていくぞ!』という気合いのない人は、『日本の国を何とかしなければならない!』という思いもないんだよ。

いいかい、『独立』っていうのはね、『自分の主人は自分だ!』ということで、『誰かに頼ればいいや』という依存心がないってことなんだよ。

何かあった時は、自分の頭で『何が正しくて何が間違っているか』を決めて、ちゃんと対応できる。そこでね、他の人に『どうしたらいいと思う?あ、そう思う?じゃあそうする』とかいって、他人の意見に頼ろうとしない。そういう人は独立しているよね。

それから、生計を立てる上でも、『どうやってお金を稼いだらいいかな』と自分の頭で悩んで、『よし、これをやるぞ』と自分の身体で汗をかいて生活する。『いま仕事がなくて、どうしたらいいかも分からないけど、これじゃ食べていけないから、お金をください』とか、他人の財産をアテにしない。そういう人も独立しているんだ。

だからね、もしもみんなにこういう『自分のことは自分でやるぞ』という独立心がなくて、ただ『誰かに頼ればいい。誰かに助けてもらえばいい。誰かに任せればいい。誰かの言うことを聞いていればいい』と、他人の力に依存しようとするだけだったら、日本人は全員誰かに助けてもらおうとする人ばかりになって、『よし!それじゃあ自分が助けてあげよう』と、誰かを助ける人が日本からいなくなっちゃうよね。そうしたら、日本はダメになる。

要するに、『自分のことは自分でやるぞ!』という独立心を持った人は、国を支える側になる。でも、『誰かに助けてもらえばいいや』という依存心を持った人は、国に支えられる側になる。だから、私たち一人一人が『自分のことは自分でやるぞ!』と気合いを入れて生きていくことが、結局は国を支えることになるんだよ」

「いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。」(夏目漱石「私の個人主義」)

超訳するとこうだ!

「何だかんだ言ったって、人間はみんな『何が立派なことで、何がずるいことか』を見分ける目ん玉がそなわっていて、『何が正しくて、何が間違っていることか』を判断する価値観も持っているわけですよ。だから、自分が幸せになるために、自分の個性を伸ばしていくっていう生き方をする。そういうことができる自由がある。それが大事なことだと思う。

 でも、そうじゃない人もいるでしょう。貧乏な家に生まれて学校に行けないとか、生まれつき身体が弱くて働くチャンスがもらえないとか、差別されていて仕事には問題ないのに会社をクビになるとか。そういう人は、幸せになるために自分の能力を発揮するっていうチャンスがない、そういう生き方をする自由がないっていうことだよね。

 だから、自分の幸せのために自分の個性を伸ばす、自分の能力を発揮する。自分は、そういう生き方ができる自由を持っている。それはそれで結構なことだよね。でも、単に『自分はそういう自由に恵まれてよかったな』っていうことだけじゃなくて、他の人もそういう生き方ができるようにならなきゃいけない。みんなが、そういう生き方ができる自由というものを与えられなきゃいけない。僕は絶対にそう思うんです!」

今日はこの辺にしておこう。本書の紹介は、まだまだ続くよ!

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